2017年9月20日水曜日

職場に座る

sarasa design lab Fukuokaでの展示は無事、終了しました。
お越しいただいた方々、ありがとうございました。

昨年のヤマキファインアートでの個展以降、いろいろな絵を同時並行で描いていました。
相当数の作品制作を行う予定だったことに加えて、なかなか作品を終わらせることができずにいました。
それは、特に悪い感覚ではなく私自身がとても早い変化の中にいたせいで、描くこと、積み上げていく作業、変化させる作業といったものが毎日移り変わっていて、それに抗う気持ちがなかったためです。
なので、たくさんの作品が終わりを迎えないまま、アトリエに積みあがっていきました。

今回、ふたつの展示の話をいただいたタイミングもあり、変化の中でみつけたものをはっきりと描くことにしました。
私にとっても未知の作業となり、とても刺激的でしたが、その作業の中ではっきりと終わりが見えたのは得難い経験となりました。
複数の作品が同時に出来上がっていく様は、興奮をおぼえるほど。

描いてきたシリーズごとに、作品をサイトにアップしていこうと思います。
ちまちまと作品について言葉で表すことで、私自身の整理もかねて。

今日は去年から取り組んでいる、身近な人物のポートレイトを2作品公開します。


http://iximakuniyosi.blogspot.jp/2017/09/2.html


http://iximakuniyosi.blogspot.jp/2017/09/3.html

同一人物の同一構図を描いた作品です。
異なった感覚の中で描いているので、それぞれまったく違う指向性を持つことになりました。
ひざ上から斜めを向いた西洋的な人物の肖像画の構図ですが、描き方は平坦な塗と線的な仕事を重ねたもので、これは東洋的な描き方だと思っています。
相互の文化がぶつかるところが、私の生きている文化です。

2017年8月24日木曜日

sarasa design labと八万湯の展示

ずいぶん久しぶりの投稿です。不特定多数の人に向かって何か言葉を投げるというのが、より苦手になってきました。

9月に福岡で展示がふたつあります。

まず、福岡市薬院の雑貨屋「sarasa design lab fukuoka」で個展を行います。
ポートレイトの作品を中心に、新作を展示予定です。
福岡で個展を行うのは2015年以来なので、とても久しぶりな気がします。
雑貨屋さんとあってギャラリーとは違う環境で、どう見えるのか、どのような出会いになるのか楽しみです。

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2017/9/6(水)-9/18(月)

sarasa design lab fukuoka

月曜日-土曜日 11:00-19:00
日曜日 8:00-17:00
定休日 火曜日

福岡市中央区薬院1-16-17 2F
092-707-0171

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また、北九州市八幡東区の八万湯というスペースでグループ展に参加します。
こちらは銭湯跡をそのまま展示やイベントスペースにしているところで、やはり新作を展示予定です。
グループ展のテーマはずばり「図と地」。
美術界隈では使い古されたテーマではありますが、日頃制作の時に考えていたことから、かなりぴんと来ました。

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2017/9/16,17,18,23,24,30,10/1

10:00-18:00

八万湯
北九州市八幡東区祇園1-12-14
hachimanyu@gmail.com

http://hachimanyu.web.fc2.com

2016年8月26日金曜日

生島国宜展 ギャラリーヤマキファインアート

『美の鼓動・九州』展と同日9月10日から、神戸のギャラリーヤマキファインアートにて生島の個展を開催します。


この2,3年ほどは"一気呵成に描く"ということが大変重要でした。
いや、ライブペインティングを始めた時(10年近く前)から、自分の認識より体験が先立つことで、自分を超えていくという作業目的を目指していたように思います。
この経験は得難いものを私にもたらしましたし、今もって認識を超えるという仕事の仕方は変わっていない気もします。

一方で"絵の拠り所"が変わってきたように思います。
単純に描く対象、モチーフの変化ということでもいいのですが。

認識を超える感覚のうち、ライブ的な躍動感を持った精神状態を狂気と形容した時に、それとはまた違うとても静かでどっしりとした精神状態があると思います。
明鏡止水の精神と例えましょうか。
そういう状態で絵に向かうことが出来るようになり(本当はそういう状態は常にあったのですが)、今までの絵のモチーフを"弱い"と感じるようになりました。
自分の中の根拠として、弱い。
私が明鏡止水でありながら筋を通すために絵に向かうためには、その静かな精神状態にほど近い日常の感覚を絵にしなければという思いが湧いてきました。
日常を絵に、というのはこれまた昔から持っている感覚で、では日常とは~という話は今は置いておきます。

日常のバイト暮らし、友人関係、そういったものを自分の思い込みなしに描けたら、それだけでこれは美しいだろうという思いがあり、まず取り組んだのが前エントリの『座って描かれる』であり、次に描いたのが今回の個展のDMにもなっている『アーバンライフ』です。
友人と、通勤路を描いただけの絵です。

前回ヤマキさんのところで行った個展では時間的な制約もあり、"一気呵成"にポートレイトに絞って作品を制作しましたが、今回は一年かけて作品の根拠、表し方、その向かう先までを様々なモチーフと描き方で試しました。
特別ではないものを特別ではない作り方で作り、それが美しいというものが素晴らしいと思うんですよ。
そういったものに、近づいたと思っています。

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『生島国宜展』

2016.9.10(sat) - 10.8(sat)
11:00 - 13:00  14:00 - 19:00
日月休廊

ギャラリーヤマキファインアート
神戸市中央区元町通3-9-5-2F
+81(78)391-1666
www.gyfa.co.jp

美の鼓動・九州 クリエイター・アーカイブ

九州産業大学美術館で行われる『美の鼓動・九州 クリエイター・アーカイブ』というグループ展に参加します。
九州のクリエイター応援番組『美の鼓動・九州』というものがあり、その番組に出演した作家さんたちによるグループ展です。

いつぞやブログでも紹介させていただきました。
http://i-art-f.blogspot.jp/2015/10/blog-post.html

個人的には斎藤秀三郎さん、山部善次郎さんとご一緒できるのが大変光栄。
この年齢層とジャンルの広さは、あまり体験したことのない展覧会でございます。

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私は去年末くらいから、半年以上取り組んでいた『座って描かれる』という作品を1点出展します。
この作品、しばらく福岡で展示される機会はないと思いますので、特に薬院界隈の皆様どうぞよろしくお願い致します。



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『美の鼓動・九州 クリエイター・アーカイブ』

2016.9.10(sat) - 10.23(sun)
10:00 - 17:00(入場は16:30まで)

月曜日休館
入館料 一般200円 大学生100円 高校生以下および65歳以上無料

九州産業大学美術館
福岡市東区松香台2丁目3-1

092-673-5757
ksumuseum@ip.kyusan-u.ac.jp
http://www.kyusan-u.ac/ksumuseum/

2016年5月9日月曜日

アートフェア東京2016

御無沙汰しております。

久しぶりにレギュラーのバイトをフルタイム週5でやるなどの暮らしをしており、何というか本当に自分はだらしない性格なので、人様から何時に起きろと言われる今はこのリズムがありがたいという状況。

とは言えこの数年、ほぼ自分だけのタイミングで送ってきた作家生活というのは、自分を含む世の中からはずれ、自分を含む世の中を見直すものでした。
自分とか世の中みたいなものが、結局自分の中にしかないわけで。

今は生活のすべてが絵に向かう、絵を描くための楽しみ、リアリティ、筋の通し方といったものを毎日確認する作業と申しますか。
絵を描く実作業はいよいよ短時間になりつつありますが、効率はあまり変わらないのと、精度という点ではあがってきてるような気がします。
今のバイトをしてなければ絶対に関わることのない人たちと、関わっていくのも非常に刺激的。

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今年も『アートフェア東京』に、神戸のギャラリーヤマキファインアートのブースで作品を出展することになりました。
昨年新作を作った『大津事件』のシリーズを引き続き。
近頃、大津事件の参考に読んだ森まゆみ著『彰義隊遺聞』がスリリングで実によかったですが、日本近代研究はなかなか進みません。

今年はそのギャラリーヤマキファインアートで9月から個展をひかえているので、目下あれこれ制作中です。
もうちょっと日常的なモチーフを扱えそうだなという感じがしています。
自分の暮らしている日常を輝かしいものにできなくて、何のアートだと常々思います。
実際にそういうモノがフリマやら古本屋やらにあるので、自分がそういったモノに得る感覚をどれだけ絵にできるだろうと思います。
そして言葉の強さというものにガンとくらうことしばしばであり、絵で表したいなぁと思っています。
地道に。


今回アートフェアの会場にはおりませんが、どうぞ作品だけでもご堪能いただければと。


http://iximakuniyosi.blogspot.jp/2016/05/blog-post.html



http://iximakuniyosi.blogspot.jp/2016/05/blog-post_9.html

2016年1月6日水曜日

牧園憲二個展「hari / pass」

去年見た展覧会でどうしても感想を書きたくなってしまった展示がひとつだけあるので、書いておくことにします。
art space tetraでの牧園憲二の個展「hari / pass」です。

彼の展示は毎回不思議な感じがします。
ひとつには彼自身の作品に対する不確かさや不明瞭さから来ているのでしょうが、ひょっとしたら彼が自分の作品に対して今よりはるかに確信を持って表現できたとしても、それでも残るかそれ以上に増すのではないかという不思議な感触が、彼の展示には常に漂っています。
彼はよく映像をその展示に織り込んでいるのですが、その表現の中で映像という表現がひとつの要になっているのは間違いありません。
しかし、展示室に入った時に受ける感触は紛れもないインスタレーションのそれであって、その自分の全身を包み込むような感覚は他のメディアでは感じられないものです。
特に彼のインスタレーションはその、空気感というところが肝のような気がしています。

tetraの1階と3階を使って、今回の展示は構成されています。
まず1階の部屋では、入り口の引き戸を開けるとほぼ天井から床面まで白い布が貼ってあり、会場の様子はすぐにはうかがうことが出来ません。
引き戸を閉めて左手に向かいます。
通路のようになった空間を歩く数秒の間に、豆をザラザラ流しているような音が断続的に聞こえてきて、映画やテレビの波の効果音としてそういうのやってたなというイメージが浮かびます。
その布を抜けると正面にスクリーンが置いてあり、玄海原発と海の景色が定点で映されています。
そのスクリーンの後ろに長い長方形の筒状の段ボールがいくつもぐるぐる回転していて、その中におそらく豆のようなものが入っていてザラザラという音が聞こえています。
ちょっと風力発電の風車を思わせます。
何というか、物を物として無機質に何かを"やらせている"感じが、少し不穏で冷たくて気持ちがいいという印象がしてこれは彼の持ち味だと思います。

3階は映像主体で薄暗かった1階とは打って変わり、明るく狭く白い空間でこれは別にいつものtetraの3階と変わらないのですが、こんな清涼感のある場所だったのかと少し驚きました。
そこは、額に入ったガラスとそれをプリントした青焼きの紙、という作品が壁面に数種類置いてあるだけの空間です。

彼に話を聞くと、青焼きと原子力発電所というのはどちらも「終わっていくテクノロジー」だと言います。
ちなみに彼は福岡県最西部の糸島市に住んでおり、そこは件の映像の玄海原発(佐賀県)から直線距離30kmの範囲内に含まれる自治体でもあります。
原発の映像を使ったのは社会的な側面も当然あるでしょうが、曰く「コンセントの先の景色」。
映像というメディアはまず最初の条件として、電気が必要だと。
映像ってなんだろうか、という単純な問いが自分の中にあると言います。
個人的な問題と社会的な問題が錯綜します。

*

昨年はいくつかの展示を見ましたが、グッときたなと思いつくものはあまりありませんでした。
何だかよく分かんない、けど雰囲気がいいから見ていられるという感じで彼の展示が印象に残っています。
彼がぼつぼつ語る様が一番おもしろいっていうのは、どうかと思うんですが、おもしろいんだからしょうがない。
物云々ということを書きましたが、所詮作品だの言っても物は物だなという気分になったのも昨年。
その物からにじみ出る人の意思やら何やらがおもしろいのであって、やはり人だなと思います。
人が実におもしろい。

しかし、昨年は自分があまり展覧会を見に行けなかったせいもありますが、何というか自分の中の同時代性に合致するような展示や作品ってあまり無いのです。
特にここ最近。
もうかつてほど自分の経験値や審美眼を鍛えるために、良品を求めるということは無くなってきました。
それよりも自分の中の感覚を確かめに行く、というような行為で展示を見に行くことが多くなってきている気がします。
去年見たでかい展示となると、国立国際美術館の高松次郎の回顧展と森美術館の村上隆・五百羅漢でしょうか。
しかしどちらも、自分の中では311以前の芸術としか感じられませんでした。

では、311以降の芸術とは何か。
となるとまだはっきりとしたこれだという表現には出会えてないような気がしますし、実はもう知っているような気もしますが、自分がまだ明確にそこの言語化も作品化も出来ていないので、ここまで書いておいてズルいですが核心をついたことはいまだに言えず。
ぼつぼつこのブログやらで書いてはいますが、単純明快なところにはいまだ至らず。
ただ、少しずつではありますが美術作品にしろ、その他の"作品"と言えるものの中で自分の感じる311以降の感覚を発見する機会があり、嬉しく。
それは恐らく、目の覚めるような新規の価値観ではなく、むしろ何百年、何千年と言われている「気づくこと」「覚めること」に近いような気がします。
何だか宗教臭くなってきたところで。

今年の抱負は「地道に絵を描く」あたりでどうかと思っております。

2015年12月15日火曜日

talkin' about vol.2お礼及び感想

先日のart space tetraでのtalkin' about vol.2みなさんお越しいただきありがとうございました。
出演者の皆さん、正に十人十色で、そういう企画だったとは言えビックリするような展開や話が飛び出して、楽しく過ごさせてもらいました。

今回、ほぼ同世代の作家を集めてお話しさせてもらいました。
今回の作家の中で、自分が聞き役をつとめた渡邊瑠璃さんは一世代下なんですが、何となく共有しているものがあると思ってて、自分もお相手させてもらい、その作品に対する問題意識のあり方など非常に共感できる部分がありました。
今より時代が下れば311以降の作家、という区分で我々はまとめられるのかもしれません。
なので時間が許せばもっと話したいことがいっぱいあったんですが、どうも彼女の今年の活動を俯瞰するような方向で、個々のポイントではあまり話が深まらなかったかもとは思います。
とは言え、やってることや考えてることの並列、提示ということは果たせたかなと思っています。
その後、それ以上のことは是非今後の彼女の活動の中で、気になった方は追っていただけると良いかと思います。
個人的には彼女の持つ、アナーキーさというのが共感も出来、かつ魅力のベースになっている気がします。
アナーキーということについても色々と。

さて、その同世代の作家たちのトークを羅列してみて、興味深いことに何となく一貫性みたいなものが見えてきたのは驚きました。
美術作家というのは各々が各々の理屈と必然で勝手にやっているわけです。
我々は、孤独である、何物も共有できないというのが21世紀の日本社会の病癖のように言われているのかもしれませんが、そこに抱え込まれた問題意識というのは案外共通のものがあるのだなと発見できました。
我々は個人で自立している。
それぞれの都合で成り立ってそこに他人の都合はつけ入ることができない。
しかしそれは孤独ではない。

例えば今回の作家たちはほとんど視覚芸術を扱っているわけで、いわゆるインタラクティブな体感的な作品というわけでないのですが、その根底には常に自身の肉体的な問題、肉体感覚の反映みたいなのが度々垣間見えたように思います。
人によっては直接的なパフォーマンスに結びついたり、そうでなくとも活動の通奏低音としてそこにあるのが面白いなと。
それと、言語、あるいは物語のようなものと作品との関係性。
あるインスピレィションを言語化する作業と、視覚化する作業というのは相反する方向性を持ちながら、両輪でもあってその作品化の段階で大きな作用を果たしている、そしてそれを別に隠す必要もなく両方素直に出していいやんけみたいな意識が、割とみんなあるのかなと。
これはひと昔前のコンセプトというものとは、少し意味合いが違うような気がしています。
このコンセプチュアルアートあたりから発したであろう、"コンセプト"というものとそれよりもっと俗っぽい言語としての"物語"というものの違いについてもいずれ。

ともかく私が拾えた感じでも、身体及び物語という共有のテーマが垣間見えたように思います。
それって何なんですかね。
分断されてしまっているはずの、現代社会人がそれでも何か共有できているもの。
このあたりを病的な感じでなく、冷静にまた話せればいいなと思います。
個人的にはその他、宮田君平くんの「自分のルーツを語れない」「英語ってアーティストに必要か」、竹口浩司さんの「全部作品を言葉で言えてしまう」という言葉はグッと。
各作家それぞれの作品に対する姿勢、検証の迫り方への徹底さと実践という部分でも実に引き締まる思いがしました。
では、それら思考と実験を作品化できているのか、というのも実に作家に突き刺さるあたりです。

とにかく刺激的な集まりでした。
私は常々、熱を伝えたいと思っています。
人の熱と言っていいと思いますが、イベントにしろ展示にしろそういったものが伝播していく様子というのはライブでしか味わえませんし、それが人を狂わせていく様というのはこれだよこれこれと毎回思います。
もっと丁寧に話せればと思いますが、それは今後のそれとして。